宝蔵院跡

宝蔵院跡

香取神社から平方東京線を60メートルほど進むと、左手に墓地が見える。宝蔵院(ほうぞういん)と呼ばれた真言宗の寺院跡地である。今は墓地だけになっている。
 
墓の入口に石塔が四基並んでいる。左端は、江戸中期・正徳2年(1712)の地蔵尊供養塔。ほかの三基は庚申塔。案内役の加藤氏が三基の庚申塔について解説してくれた。

文字庚申塔|文化8年

文字庚申塔

文字庚申塔。石塔型式は山状角型。江戸後期・文化8年(1811)造立。正面の主銘は「庚申」。主銘の上に「日月」、下に「三猿」が刻まれている。左側面には「文化八辛未」の脇銘と、世話人12人の名前が確認できる。右側面は「三月吉日」の銘と、世話人11人の名前が見える。

青面金剛像庚申塔|享保元年

青面金剛像庚申塔

青面金剛像庚申塔。江戸中期・享保元年(1716)造立。石塔型式は駒型。正面中央に、六手合掌型の青面金剛像が浮き彫りされている。石塔最頂部の両脇に「日月」、青面金剛の下に「邪鬼」、邪鬼の下に「三猿」が陽刻されている。

青面金剛像庚申塔|寛政2年

青面金剛像庚申塔

江戸後期・寛政2年(1790)の青面金剛像庚申塔。石塔型式は駒型に近い角柱型。浮き彫りされた青面金剛像は六手剣人型。右中手に剣、左中手でショケラと呼ばれる女人の髪をつかんで、ぶらさげている。
 
石塔の最頂部に「日月」、青面金剛に踏みつけられているのは邪鬼、その下に三猿が陽刻されている。両面には、建立年月日と寄進者の名が見える。

二宇の小堂

二宇の小堂

墓地の横に小さなお堂が二宇ある。左は不動明王を祀ったお堂。「成田山」と書かれた額が掛けられている。右のお堂には弘法大師像が祀られている。

御詠歌

御詠歌

右のお堂には「御遠忌」(※2)と書かれた扇形をした木の額が掛けられている。額には「御遠忌 第十二番増林下墓守」と題し、「よのなかに まけるごこくの たねをこそ かきによらいの めぐみとぞしる」と、御詠歌(※3)が、書かれている。最後に「昭和九年七月廿一日」とある。

※2 御遠忌(ごおんき)とは、死者の没後、五十年忌、百年忌など、遠い年月に行なう年忌法会のこと。

※3 御詠歌(ごえいか)とは、巡礼や仏教信者などが和歌にふしをつけて唱える歌。鈴を振りながら哀調を帯びた節まわしで歌われる。

下組集会所

下組集会所

敷地の奥に、トタン屋根の古びた木造の家屋がある。ここは下組集会所と呼ばれる集会所になっているようだ。かつてこのあたりは女性の念仏講がさかんで、集会所が念仏講の宿(やど)にも使われていたという。
 
昭和55年(1980)に発行された『越谷ふるさと散歩(下)』(※4)にも「(下組集会所から)地蔵などの縁日には老婆などによる観音経読誦の鐘や太鼓が聞こえることもある」と書かれている。

※4 越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「増林香取神社と宝蔵院跡」88頁

 
同行した地元の尾川さんの話

尾川氏

増林では、昭和の終わりごろまで、毎月、おばあさんたちが集まって、念仏講をやっていました。


念仏や昭和は遠くなりにけり、か……。
 
宝蔵院跡の見学を終え、平方東京線に出て、来た道を戻る。

百観音巡礼塔|平方東京線沿い

香取神社を過ぎて40メートルほど歩くと、右手の路傍、電信柱の横に、草むらに隠れるようにして、小さな石塔が建っている。

銘文

石塔の形式は駒型。江戸後期・寛政5年(1793)建立。正面の最頂部に阿弥陀三尊(※5)を表わす梵字が刻まれている。主銘は「奉納 坂東 西国 秩父 為二世安楽也」。脇銘に「寛政五癸丑年」「三月吉日」のほか、寄進者4人名前がみえる。

※5 阿弥陀三尊(あみださんそん)…阿弥陀如来を中尊とし、左右に左脇侍の観音菩薩、右脇侍に勢至菩薩を配する。

この石塔は、百観音(ひゃくかんのん)巡礼を終えた記念に建てられた供養塔。百観音巡礼とは、西国(さいごく)三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所、合計100箇所の観音菩薩を本尊とする寺院を巡ること。

地蔵堂

地蔵堂

百箇所巡礼塔の先にある十字路を右折すると、左手に堂舎と墓地が見える。ここは地元では地蔵堂と呼ばれている。

堂舎

堂舎

古びたトタン葺きの堂舎。いつごろ建てられたものなのだろうか。どこかもの悲しさがただよっている。このお堂でもかつては地元のおばあさんたちが集まって念仏講を行なっていたという。

地蔵菩薩立像

地蔵菩薩立像

墓地の入口に地蔵菩薩立像が建っていた。造立代は不詳。お地蔵さまのうしろは無縁塚と思われる。入口には鎖がかけられていたので、墓地の中には入らなかった。
 
案内役の加藤氏の話。

加藤氏

かつて、この地蔵堂の南側に虚空蔵堂(こくうぞうどう)と呼ばれたお堂がありましたが、今は住宅になっています。


 
午後6時。巡検の番外編・健脚コースの見学はここで終了。

帰途|市役所前中央通り

ふれあい橋交差点

平方東京線からふれあい橋交差点に戻って左折。市役所前中央通りを歩きながらバス停のある千代田橋へと向かった。

夕景

夕景

右手には夕景が広がっている。用水路の先は増林小学校。千代田橋のたもとにあるバス停「総合体育館前」から終点の「越谷駅東口」までバスに乗る。

帰着・解散|越谷駅東口

越谷駅東口バス停

午後7時。越谷駅東口ロータリーに帰着。案内役をつとめた加藤氏のあいさつのあと、巡検・健脚コースは解散となった。

備考

二週間後(2022年5月12日)に予定されている越谷市郷土研究会・地誌研究倶楽部主催の巡検では「増林村南部」をめぐる。いわば、今回おこなった巡検「増林村北部」の続編ともいえる。「増林村南部」の地誌をめぐる巡検の様子は、参加後、追ってお届けする予定。

謝辞

本記事をまとめるにあたっては、越谷市郷土研究会顧問・加藤幸一氏の指導を仰ぎ、校閲もしていただいた。加藤氏には心からお礼申しあげます。

参考文献

本記事を作成するにあたっては、石仏や石塔の金石文を確認するさいに、関係書籍や調査報告書とも照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。中でも今回の巡検で案内役をつとめた越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏の調査報告「増林地区の石仏」によるところが大きい。

参考文献

加藤幸一「増林地区の石仏」平成16・17年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市民俗資料』越谷市史編さん室(昭和45年3月1日発行)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青砥書房(2011年4月1日発行)