蒲生久伊豆神社

蒲生久伊豆神社

第8チェックポイントの蒲生久伊豆神社に到着。
 
旧・蒲生村の鎮守で、江戸後期、幕府によって編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』に、室町前期・応永年中(1394~1428)の鎮座と記されている。

庚申塔

青面金剛像庚申塔

参道の右脇に建っている石塔は、江戸中期・元禄13年(1700)に造立された庚申塔。正面に主尊の青面金剛(しょうめんこんごう)が、浮き彫りされている。

移動|西幹排緑道

蒲生久伊豆神社をあとに西幹排緑道(旧出羽堀跡)を進む。

蒲生西町久伊豆神社

蒲生西町久伊豆神社

東武伊勢崎線の高架下の手前にさしかかる。右手に小さな神社が見える。この社は旧蒲生村西組の鎮守・久伊豆神社(蒲生西町久伊豆神社)。地元では、小鎮様(しょうちんさま)と呼ばれている。

西町公園|高架下1号公園

西町公園

東武伊勢崎線の高架下を通過。高架下には遊具などが置かれ公園になっている。公園の名前は西町公園(高架下1号公園)。ちょっとした地元の憩いの場だ。
 
ガイドツアー責任者・秦野氏の解説。

越谷市郷土研究会・秦野氏

東武伊勢崎線が高架になる前、この場所に(出羽堀を渡る)鉄橋が架かっていました。

西幹排緑道

西幹排緑道

高架下を抜けて、再び西幹排緑道を歩く。
 
雨が強く降ってきた。

傘をさしながら写真を撮ることができなかったので、以下、槍先通り(やりっちゃきどおり)と旧出羽堀跡(住宅)の写真は、2022年9月10日、下見のとき(快晴時)に撮影したものを使用。

槍先通り

槍先通り

西幹排緑道をおりて左折。槍先(やりっちゃき)通りを歩く。槍先通りはかつての岩槻道。右手の中央分離帯は西幹排緑道。暗渠(あんきょ)になっている。

旧出羽堀跡|住宅

旧出羽堀跡

槍先通り(岩槻道)を道なりに進む。右手は住宅地になっているが、もともとは出羽堀の流路だった。出羽堀を埋めて住宅を建てた。昔は岩槻道と並行して出羽堀が流れていた。
 
前方左手に橋が見えてきた。

西浦橋

西浦橋

第9チェックポイントの西浦橋(にしうらばし)に到着。

出羽堀ポンプ場

出羽堀ポンプ場

橋の下を流れているのは出羽堀(出羽堀第1号雨水幹線)。西浦橋の下流側にある施設は出羽堀ポンプ場。出羽堀は出羽堀ポンプ場から綾瀬川に落とされている。西浦橋から綾瀬川までの流路は「新出羽堀」とも呼ばれている。
 
ガイドツアー責任者・秦野氏の解説。

越谷市郷土研究会・秦野氏

本来の出羽堀は、西浦橋の北北西の上流付近から南東へ流れ、西浦橋の東北東付近から岩槻道(現・槍先通り)と並行して東南東へ流れていましたが、現在は流路跡のほとんどが住宅地になっています。

馬頭観音塔

石塔

西浦橋(左岸側)たもとの植え込みに、江戸中期・宝暦9年(1759)の馬頭観音菩薩像と、江戸末期・安政6年(1859)の「馬頭観音」文字塔などが置かれている。
 
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると「このあたりは、蒲生村のはずれの、かつての馬捨て場であった」(※6)とのことである。

※6 「蒲生地区の石仏」加藤幸一(平成18年度調査/平成31年7月改訂)越谷市立図書館所蔵、35頁

出羽堀|左岸側

出羽堀

西浦橋をあとに、出羽堀(出羽堀第1号雨水幹線)左岸側の市道を直進。左手に、日本エレベーター製造・埼玉工場のテストタワーが見える。

出羽橋

出羽橋

300メートルほど歩くと、蒲生岩槻線(埼玉県道324号)とぶつかった。左手の出羽堀に架かっている石橋は出羽橋。横断歩道から蒲生岩槻線を渡る。

市道70449(2)号線

市道70449(2)号線

雨脚が強い。傘をさしながら出羽堀(出羽堀第1号雨水幹線)左岸側の小道(市道70449(2)号線)を進む。

雨水幹線の合流地点

雨水幹線の合流地点

本日、最後の見学地点、第10チェックポイントに到着。橋の先で、二つの流路が交わっている。ここは雨水幹線の合流地点。向かって左が、出羽堀第2号雨水幹線(第二出羽堀)、右が、出羽堀第1号雨水幹線(出羽堀)。この地点で、第二出羽堀は出羽堀と合流する。
 
ガイドツアー責任者・秦野氏の解説。

越谷市郷土研究会・秦野氏

荻島小学校の東の根井堀用水から最下流部の出羽堀第1号雨水幹線の綾瀬川への合流地点までを含む約600ヘクタールの出羽堀排水区の主な排水を担うのが、出羽堀第1号雨水幹線と出羽堀第2号雨水幹線になります。

帰途

雨水幹線の合流地点をあとに、出羽堀(出羽堀第1号雨水幹線)とも別れを告げ、道を右に折れる。終点の蒲生駅西口まで約250メートル。