向畑の石仏調査

向畑観音堂

向畑観音堂|越谷市向畑

向畑香取神社をあとに平方東京線に出て、左に折れると、右手に観音堂が見える。住所は、越谷市向畑885-1。
 
創建年代は不詳だが、山王山華光院(さんのうざん・けこういん)と称された真言宗の寺院だった。昔からこの地を地元では「堂面」(どうめん)と呼んでいたので、堂面の観音堂とも呼ばれている。
 
調べた石仏は 9基。

参道脇

参道脇には 3か所、6基の石塔がある。道路(平方東京線)脇のフェンス沿いに 2基、イチョウの大木の下に 3基、イチョウの裏手に 1基。

文字庚申塔

文字庚申塔

フェンス沿い(観音堂に向かって右手)にある石塔は、江戸後期・文化11年(1814)造塔の文字庚申塔。石塔型式は山状角柱型。石塔の下半分が土に埋まっている。
 
正面の最頂部に「日月」。主銘は「庚申」の文字が確認できる。右側面(向かって左側)には「向畑村」と刻まれている。
 
左側面(向かって右側)の銘は、フェンスと草が邪魔して、「文」の文字しか確認できなかった。越谷市郷土研究会・加藤幸一氏の調査報告によると、左側面の銘は「文化十一庚戌三月」(※8)という。

※8 加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館蔵)「堂面の観音堂」p.59.

青面金剛像庚申塔

青面金剛像庚申塔

文字庚申塔の対面(観音堂に向かって左手)にあるのは、青面金剛像庚申塔。年代は不詳。石塔型式は笠付き舟型。
 
最頂部に日月、中央に青面金剛像、両脇に二鶏。青面金剛の下に邪鬼、最下部に三猿が浮き彫りされている。
 
青面金剛は一面六臂(いちめんろっぴ=顔がひとつで腕が六本)。両手で合掌、左中手に法輪、左下手に弓、右中手に矛、右下手に矢を持っている。
 
側面には銘は刻まれていない。

六地蔵石幢

六地蔵石幢

イチョウの裏手(観音堂に向かって左手)にある石塔は、江戸中期・享保5年(1720)造塔の六地蔵石幢(ろくじぞう・せきどう)。六面に六地蔵が浮き彫りされている。
 
台石には、「奉造立六地蔵尊」「為二世安楽」「享保五庚子天」「八月吉祥日」」「本願」「向畑村」のほか、寄進者14人の名前が刻まれている。

「孝心」文字庚申塔

「孝心」文字庚申塔

イチョウの木の下に、三基の石仏が並んでいる。向かって左端は、自然石の庚申塔。明治2年(1869)再建。正面の上部に「日月」、主銘に「庚申塔」と刻まれている。
 
台座には「不見 不聞 不言 行誉 拝書」とある。庚申塔では三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)の姿が彫刻されているのが一般的だが、ここには「不見」(見ざる)「不聞」(聞かざる)「不言」(言わざる)と、文字で刻まれている。

裏面

碑文

裏面の銘は「明治二己巳年二月十八日 再立 向畑村」。碑文に、「孝心」と題し、「庚申さまをよくおがめ、おがむその身ハすくにかうしん」と刻まれ、「庚申」が「孝心」の字に置きかえられている。

地蔵像庚申塔

地蔵像庚申塔

「孝心」文字庚申塔の隣は、江戸前期・寛文11年(1671)造立の地蔵像庚申塔。石塔型式は舟型。正面の頭頂部に地蔵菩薩を表わす梵字「カ」。中央に地蔵菩薩立像が浮き彫りされている。
 
越谷市内では、このころは地蔵菩薩像を主尊とした庚申塔がよく見受けられ、のちに目立って見られる青面金剛像を主尊とした庚申塔は寛文の次の延宝や天和年間までは、まだ見られない。
 
脇銘は「庚講供養 栄伝 尭識房」「寛文十一辛亥天十月吉日」のほか、8人の名前がみえる。

馬頭観音供養塔

馬頭観音供養塔

向って右端の石塔は馬頭観音供養塔。石塔型式は駒型。江戸後期・嘉永3年(1850)造立。中央に三面八臂(さんめんはっぴ=顔がみっつで腕が八本)の馬頭観音座像が浮き彫りされている。
 
下部の脇銘は「嘉永三戌年」「如是畜生 □□□□」とあるが、「□□□□」の部分は劣化が激しく読みとれない。
 
『越谷市金石資料集』「馬頭観音」の項に、この供養塔の脇銘があり、「如是畜生 常性転進」(※9)と書かれているので、□□□□ の箇所は「常性転進」という文字が刻まれていると思われる。

※9 『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)p.185.

横道脇

向畑観音堂

本堂に通じる横道の入口(両脇)に、二基の庚申塔が立っている。

文字庚申塔

文字庚申塔

向かって右手にあるのは文字庚申塔。江戸中期・宝暦5年(1755)造塔。石塔型式は駒型。
 
正面の頭頂部に、青面金剛を表わす梵字「ウーン」と日月。主銘「奉需庚申供養為二世安楽也」、脇銘「宝暦五乙亥天 二月十七日 敬白」
 
右側面(向かって左側)の銘は「講中」と、3人の名前。左側面(向かって右側)の銘は「講中」「新方領向畑村」と、6人の名前がみえる。

台座

台座は土に埋もれているので、銘や彫物は確認できない。越谷市郷土研究会・加藤幸一氏の現地調査報告(※10)によると、土に埋もれた台座に三猿が陽刻されている。

※10 加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館蔵)「堂面の観音堂」p.25、p.60.

青面金剛像庚申塔

面金剛像庚申塔

向かって左手にあるのは、青面金剛像庚申塔。江戸中期・安永5年(1776)造塔。石塔型式は駒型。正面に、日月・青面金剛像・二鶏・邪鬼・三猿が陽刻されている。
 
青面金剛は一面六臂(いちめんろっぴ=顔がひとつで腕が六本)。左手で人身(ショケラ)の髪をつかみ、左中手に法輪、左下手に弓。右手には宝剣、右中手に矛、右下手に矢を持っている。
 
左側面(向かって右側)の銘は「安永五丙申年 講中」「願主 平七 左右衛門 花光院」。右側面(向かって左側)には「申二月吉日」のほか、10人の名前がみえる。

青面金剛|合掌型と剣人型

青面金剛|合掌型と剣人型

青面金剛|合掌型(左)剣人型(右)

青面金剛像は大別すると、「合掌型」(がっしょうがた)と「剣人型」(けんじんがた)がある。両手で合掌しているのが合掌型。左手で、ショケラと呼ばれる人身(じんしん)の髪をつかみ、右手で剣を持っているのが剣人型。
 
上の写真の左が合掌型、右が剣人型。

備考|越谷型

上の写真は越谷市の恩間勢至堂にある越谷型青面金剛像。
 
合掌型の亜種として「岩槻型」が報告されているが、岩槻型青面金剛像の亜種として、「越谷型青面金剛像」が存在することを班長(越谷市郷土研究会・副会長)の秦野秀明氏が突き止め「越谷型青面金剛像庚申塔」という論考を発表している。

「越谷型」青面金剛像庚申塔については、秦野氏が「越谷型青面金剛像庚申塔」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
https://koshigayahistory.org/762.pdf

山王社

山王社|向畑観音堂

観音堂から右手(東)に延びている小道を進むと、こんもりした林の中に、小さな社(やしろ)がある。祠の中には、笠の部分に「山王山」と陽刻された石祠が安置されている。

山王山

「山王山」銘

『新編武蔵風土記稿』向畑村の項に「華光院 新義真言宗、山王山と号す、本尊薬師 山王社 観音堂」(※11)とある。
 
向畑観音堂は、かつては山王山華光院(さんのうざん・けこういん)という寺院だったので、この石祠の笠に刻まれている「山王山」の銘は、華光院の山号を示している。この石祠が安置されている場所に山王社があったのかもしれない。

※11 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「向畑村」p.180.

「稲荷大明神」文字塔

「稲荷大明神」文字塔

社の裏手に「稲荷大明神」と刻まれた文字塔がある。石塔の型式は祠型。江戸末期・文久4年(1864)造立の石塔を再建したもの。再建年代は不詳。
 
左側面(向かって右側)の銘は「文久四甲子」「正月」「□□」。右側面(向かって左側)には「向畑村」「再建主」「□□□□」と刻まれている。□の部分は読みとれない。

文化財パトロール終了

文化財パトロール

午後2時半。今回の文化財パトロール(向畑の石仏調査)はこれで終了。所用時間は 2時間20分。
 
予定していた 7か所26基の石仏・石塔すべての存在(現存)を確認できた。また、向畑香取神社では「江戸後期・文化7年『天満宮』文字塔」を新発見したこともうれしいかぎりである。

本記事の写真について

本記事の写真は、2026年5月12日に行なわれた文化財パトロールで撮影したものだが、鮮明に撮れなかったものについては、2026年5月10日の下見のときに撮影した写真を使った。

謝辞

本記事をまとめるにあたっては、越谷市郷土研究会・秦野秀明氏の指導を仰ぎ、校閲もしていただいた。秦野氏には心からお礼申しあげます。

参考文献

調査にあたって、石仏や石塔の劣化や風化によって碑文が読みにくかったり、判読できない箇所も多々あった。正確を期するために、関係書籍や調査報告書と照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。

参考文献

加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青砥書房(2011年4月1日発行)